<発明した人物>

レジナルド・オーブリー・フェッセンデンはカナダの発明家で世界初の無線による音声および音楽の送信など、ラジオに関する先駆的実験を行ったことで知られている。
その後、高出力送信、ソナー、テレビなどの分野で多数の特許を取得した。カナダのケベック州イーストボルトンで生まれる。14歳のとき、学校から数学のマスターシップの称号を与えられた。
1886年末、ニュージャージー州ウェストオレンジにできたトーマス・エジソンの新たな研究所で働くようになった。特に受信機の設計で急激に頭角を現し、音声信号の受信機の開発を行った。1890年から1900年までいくつかの製造業者で働き1892年にはパデュー大学で電気工学の教授になり、1893年にはピッツバーグ大学の電気工学部長となった。1900年、アメリカ気象局で働き2つの信号を混合することで可聴範囲の音を取出すヘテロダイン原理を発見した。
そこで1900年12月23日に高周波火花送信機を使った音声信号の送信実験を行い、約1.6km離れた地点で受信に成功した。これが世界初の音声信号の無線通信とされている。レジナルドは研究の財政的基盤としてNational Electric Signaling Company(NESCO)を創設。長距離無線電信サービスのための高出力回転式火花送信機と、電信と音声通信に使える低出力の連続波交流発電式送信機の開発を行った。レジナルドは、単一の周波数の正弦波を生成できる連続波交流発電式送信機が音声通信にも適しており、はるかに有望だと考えた。
そこでゼネラル・エレクトリックと契約し、一連の高周波交流発電式送信機を設計・製作した。
1906年12月21日、ブラントロックで新たな交流発電式送信機の公開実験を行い2地点間の無線電話や既存の有線電話網に無線を相互接続しての通話実験を行った。数日後、追加の公開実験を行い、これが娯楽および音楽を一般向けに流した世界初のラジオ放送とされている。同年12月24日(クリスマスイブ)にブラントロックから行われたラジオ放送はレジナルド自身が『さやかに星はきらめき(O Holy Night)』をバイオリンの伴奏で歌い、聖書のルカの福音書第2章の一節を朗読するというものだった。
同年12月31日(大晦日)には、再び番組の放送が行われた。当然ながら当時はラジオを一般家庭で持っているはずもなく、これらの放送の聴衆は沿岸を航行する船の無線技師たちだけだった。現在ではこれらの実験の重要性が認められているが当時はほとんど話題にならず、すぐに忘れ去られた。
技術的な進歩は目覚しかったが、財政的には困窮していった。このためNESCO経営陣とレジナルドの間に軋轢が生じ、ついに1911年1月、解雇された。レジナルドは同社を相手取って裁判を起こし一審では勝ったものの、控訴審でNESCO側が勝利した。同社は1920年にウェスティングハウスに売却され、翌年にはレジナルドの数々の重要な特許が資産としてRCAに売却された。このため、訴訟もRCAが引き継いだ。
1920年以降、交流発電式送信機ではなく真空管を使った送信機によるラジオ放送が普及し始めたがレジナルドが1906年に導入に関わった振幅変調方式を採用していた。1911年にNESCOを解雇されてからはラジオ関係の研究はせず、他の分野で研究を続けた。最終的には500以上の特許を取得している。RCAとの訴訟が解決すると、和解金でバミューダ諸島の"Wistowe"を購入した。
レジナルドのラジオに関する重要な貢献は世界初の音声信号の無線送信(1900年)、世界初の大西洋横断双方向無線送信(1906年)、世界初の娯楽および音楽のラジオ放送(1906年)である。